アッサラーム・アライクム!
北海道の西の果て、日本海から吹き付ける猛吹雪の中で震えている元駐在員、アブ・イサムです。
私のプロフィールを見て、「なんで中東から、いきなりこんな極寒の僻地へ?」と驚かれる方は少なくありません。
確かに、見た目のインパクトは真逆です。
片や、見渡す限りの赤茶けた大地と、気温50度を超える灼熱の太陽が支配する「砂漠の国」。
片や、一年の半分を白い雪と氷に閉ざされ、気温がマイナス15度まで下がる「雪国」。
地球上でこれほど対照的な環境も珍しいでしょう。
しかし、両方の土地で実際に生活してみた私は、ある奇妙な感覚に囚われるようになりました。
「あれ? この感じ、どこかで…」
そう、一見すると水と油のように異なる二つの世界には、住んでみなければわからない、意外すぎる「共通点」が存在していたのです。
今回は、世界広しといえども私にしか書けないであろう、究極の比較文化論(サバイバル論?)をお届けします。
砂漠と雪国、その驚きの共通点ベスト3。どうぞ、温かいコーヒーでも飲みながらお付き合いください。
共通点①:大自然が「本気で殺しにかかってくる」
最初の共通点にして、最大の真実はこれです。
砂漠も雪国も、そこにある大自然は、人間の都合など一切お構いなしに、本気で私たちの命を奪いにきます。
都会に住んでいると、「自然」とは「癒やし」の対象であり、週末にキャンプやピクニックで楽しむための「消費コンテンツ」のように感じられます。
しかし、この二つの極地において、その認識は致命的です。
砂漠の場合:水なき世界での渇き
中東の夏、気温が50度を超えると、もはや「暑い」という感覚ではありません。「痛い」のです。
太陽光線が物理的な圧力を持って肌を焼き、呼吸をするたびに熱風が肺を焦がすような感覚。
もし砂漠の真ん中で車が故障し、水を持っていなければ、人間は数時間で脱水症状に陥り、命を落とします。
「水一滴が血の一滴に値する」という現地の言葉は、決して比喩ではありません。
雪国の場合:白銀の世界での凍結
一方、ここ北海道の冬。
猛吹雪(ブリザード)の日、外は視界ゼロのホワイトアウトになります。方向感覚を失い、自分の家のすぐそばで遭難死する人が、毎年のように出ます。
気温マイナス10度以下の世界で、もし暖房が止まり、適切な防寒着がなければ、私たちは一晩で低体温症になり、凍死してしまいます。
美しく見える真っ白な雪原は、一歩間違えれば「白い死神」へと姿を変えるのです。
どちらの世界でも、人間は決して自然の支配者ではありません。
私たちは、圧倒的なパワーを持つ大自然の掌の上で、ご機嫌を伺いながら、ほんの少しの間だけ「生かさせてもらっている」弱い存在に過ぎない。
その骨身に沁みるような謙虚さを、砂漠の民も雪国の民も、DNAレベルで共有しているのです。
共通点②:「引きこもり文化」と濃密な家族関係
外の世界が生存に適さないほど過酷であるということは、必然的に人々のライフスタイルに大きな影響を与えます。
それが、この二つの土地に共通する「引きこもり文化」です。
砂漠の「家」:外敵を拒むシェルター
中東の伝統的な家屋は、外から見ると非常に閉鎖的です。窓は小さく、高い壁で囲まれており、まるで要塞のようです。
これは、強烈な日差しと熱風、そして砂嵐から家族を守るための必然的な構造です。
人々は日中の最も暑い時間帯、外出を控え、分厚い壁で守られた涼しい家の中で過ごします。ビジネスマンでさえ、昼過ぎから夕方までは長い昼休み(シエスタ)を取り、家で家族と過ごすのが一般的です。
雪国の「家」:暖かさを逃さないシェルター
一方、北海道の冬もまた、強制的な引きこもりシーズンです。
外は氷点下。用事もないのに出歩く人はいません。
人々は、二重窓と断熱材で完全に密閉され、ストーブがガンガンに焚かれた暖かい家の中で、長い冬をやり過ごします。
結果としての「濃密な家族時間」
この「強制的なインドア生活」は、結果として何を生むでしょうか?
それは、都会では考えられないほど濃密な「家族との時間」です。
シリアにいた頃、夕食後には家族全員がリビングに集まり、紅茶を飲みながら何時間も語り合うのが日課でした。
ここ北海道でも、冬の夜は家族でこたつを囲み、鍋をつつきながら、テレビを見たりゲームをしたりして過ごします。
外の世界が過酷であればあるほど、内側の世界の結びつきは強くなる。
「家族こそが最強のセーフティーネットである」という価値観は、砂漠と雪国、どちらの土地でも共通して見られる美しい特徴です。
共通点③:異邦人をもてなす「圧倒的なホスピタリティ」
そして最後にして、私が最も感動した共通点がこれです。
過酷な環境で生きる人々は、旅人やよそ者に対して、驚くほど親切で、寛大だということです。
砂漠の掟:「客人は神からの贈り物」
アラブ世界には、「客人は神からの贈り物」という古い格言があります。
砂漠を旅する者にとって、水や食料の尽きることは死を意味します。だからこそ、助けを求めてきた者は、たとえ敵であっても、三日間は最高の食事と寝床でもてなさなければならないという、遊牧民の時代からの不文律があるのです。
私がシリアに住み始めた頃、見ず知らずの私を「兄弟」と呼び、家に招き入れてご馳走を振る舞ってくれた人々の温かさを、私は一生忘れないでしょう。
雪国の掟:「困った時はお互い様」
そして、ここ北海道の僻地でも、私は同じ種類の温かさに触れました。
移住して最初の冬、車のタイヤが雪に埋まってスタックしてしまった時のことです。
途方に暮れていると、どこからともなく近所の人たちがスコップを持って集まってきてくれました。
「大丈夫か!」「今、押すからな!」
彼らは自分の仕事の手を止め、寒さの中で一時間以上もかけて、私の車を救出してくれたのです。
お礼をしようとすると、彼らは笑って言いました。
「いいってことよ。困った時はお互い様だべさ。明日、俺が埋まるかもしれねえしな!」
雪国では、誰もが「明日は我が身」という危機感を共有しています。だからこそ、困っている人を放っておけない。
この「助け合いの精神(相互扶助)」は、厳しい自然が人間に与えてくれた、最高の知恵なのかもしれません。
まとめ:人間は、どこにいても「人間」である
砂漠と雪国。
気候も、風景も、文化も、宗教も、何もかもが正反対に見える二つの世界。
しかし、その根底に流れているのは、
「圧倒的な自然への畏怖」
「家族を守り抜くという強い意志」
そして、「他者への深い思いやり」という、人間としての普遍的な営みでした。
私が僻地移住を「賢い選択」だと信じる理由は、ここにあります。
都会の便利な生活の中で、私たちが忘れかけてしまった、人間としての原点。生きるための本能的な力と、他者と繋がる喜び。
それを、この過酷で美しい大自然が、毎日私たちに思い出させてくれるからです。
さて、窓の外は相変わらずの吹雪です。
今日も私は暖かい部屋で、妻が淹れてくれた熱いアラビック・コーヒー(中東のカルダモン入りコーヒー)を飲みながら、この奇妙で愛おしい雪国での生活を噛み締めることにします。
それでは皆さん、マアッサラーマ!(さようなら、平安とともに!)

