アッサラーム・アライクム!(あなたの上に平安がありますように) アブ・イサムです。
今朝もまた、家の前の雪が私の腰の高さまで積もっていました。 「これは何の修行だ?」と天を仰ぎながら、重たいママさんダンプ(スノーダンプ)を押し続けること1時間。全身の筋肉が悲鳴を上げています。 中東の砂漠にいた頃は、気温50度の灼熱地獄に文句を言っていましたが、ここ北海道の僻地では、マイナス10度の極寒と終わりのない雪との戦いです。 人間、ないものねだりですね。やれやれ。
さて、熱いシャワーで冷え切った体を解凍しつつ、パソコンに向かっています。 今日は、都会で子育てに奮闘する皆さんからよく寄せられる、あの「焦り」について戦略的に考えてみたいと思います。
テーマはズバリ、「早期の英語教育、英会話は必要か?」 です。
「周りの子はみんな英会話スクールに通っている」「将来グローバル人材になるには、小さいうちから英語耳を作らないと手遅れになる」 そんな情報に触れるたび、胸がざわざわしていませんか? 特に、我々のような地方移住組や、自然派育児に関心がある層でも、この「英語プレッシャー」からはなかなか逃れられないものです。
結論から申し上げましょう。 元中東駐在員、現役僻地在住のアブ・イサムの戦略的視点から言わせていただくと、 「焦る必要は一切ナシ! むしろ、有害な場合すらある」 です。
なぜそう言い切れるのか? 私の経験と論理に基づき、その理由を解説していきましょう。
中東の砂漠で見た残酷な真実:「英語ペラペラ」=「仕事ができる」ではない
私はかつて、シリアやドバイといった中東の国々で働いていました。 そこは世界中からビジネスマンが集まる、まさにグローバルな環境。共通言語はもちろん英語です。
そこで私は、ある残酷な真実を目の当たりにしました。
それは、「英語がネイティブ並みに流暢でも、仕事が全くできない人間が山ほどいる」 という現実です。
彼らの発音は完璧です。ジョークも飛ばします。しかし、いざ複雑なプロジェクトの戦略会議になると、途端に黙り込むか、的外れなことばかり言うのです。 なぜか? それは彼らに「論理的思考力」や「専門性」、そして「自分自身の確固たる意見」が欠如していたからです。
英語はあくまで「ツール(道具)」に過ぎません。 高性能なスピーカーを持っていても、再生する音楽データが空っぽなら、何の音も鳴らないのと同じです。 中身がスカスカなのに、道具の使い方だけ必死に磨いても意味がないのです。
私がこのブログで繰り返しお伝えしている、「認知能力(偏差値やテストの点数)」よりも「非認知能力(生きる力、思考力、コミュニケーションの本質)」が重要だという話は、ここにも通じます。 TOEICのスコアがいくら高くても、困難な状況で最適解を導き出す思考力や、多様な背景を持つ人々と信頼関係を築く人間力がなければ、砂漠のビジネス最前線では通用しませんでした。
逆に、英語は多少たどたどしくても、深い洞察力と情熱を持ち、相手の目をしっかり見て自分の言葉で語ろうとする人間の方が、最終的には信頼され、大きな仕事を成し遂げていました。
「英語さえできれば将来安泰」なんて、幻想もいいところですよ。
僻地流「コスパ」教育論:まずは「母語」で思考の土台を固めろ
では、ひるがえって我が家の教育方針をお話ししましょう。 現在小学5年生になる息子、イサム。彼のアラビア語力は「アッサラーム・アライクム」のみ。英語力は、学校の授業で習う「Hello, How are you?」レベルです。
私はこれについて、全く焦っていません。 なぜなら、今は「母語である日本語で深く考え、表現する力」を養う絶好の投資期間だと戦略的に捉えているからです。
人間の思考は、言葉によって行われます。複雑な概念を理解し、論理を組み立て、自分の感情を繊細に表現する。これらはすべて、高度な言語能力が必要です。 この「思考の土台」が未熟な幼少期に、異なる言語体系である英語を無理に詰め込むことは、非常にリスクが高いと私は考えています。
最悪の場合、日本語も英語も中途半端になり、どちらの言語でも深く考えることができない「ダブル・リミテッド(セミリンガル)」になってしまう危険性すらあります。 これは、子どもの将来にとって取り返しのつかない損失です。
ここ北海道の僻地では、都会のようなきらびやかな英語教材やネイティブ講師はいません。 しかし、ここには圧倒的な大自然という最高の教科書があります。
- なぜ、今日の雪は昨日と違ってこんなに重いのか?(気象への興味)
- 夏に見た積丹ブルーの海は、なぜあんなに青いのか?(光の屈折、自然科学への興味)
- 近所の漁師のおじいちゃんが話す、命がけの漁の話。(生きた歴史、多様な価値観との遭遇)
イサムは日々、こうした問いと向き合い、日本語で考え、私や妻、そして地域の人々と対話をしています。 この「日本語での濃密な知的体験」こそが、将来どんな言語を学ぶにしてもの強固な土台となるのです。
「コスパ」という言葉が大好きな私から見ても、幼児期の高額な英会話教材は、費用対効果が悪すぎます。 そのお金と時間があるなら、良質な日本語の絵本を読み聞かせたり、泥だらけになって一緒に遊んだりする方が、よほど「賢い投資」だと断言します。
本当の「グローバル人材」とは? 僻地でこそ育つ「生きる力」
そもそも、皆さんが目指す「グローバル人材」とは何でしょうか? 英語を流暢に操り、外資系企業でスマートに働くエリートビジネスマンでしょうか?
私が考える真のグローバル人材とは、「どんな環境、どんな相手であっても、自分を見失わず、他者を尊重しながら協働し、価値を生み出せる人間」のことです。
そのために必要なのは、英語力以前に、以下のような能力です。
- 異文化受容力と寛容さ: 自分と異なる価値観を否定せず、面白がれる心。
- 強靭な精神力(レジリエンス): 予期せぬトラブルや困難な状況でも折れない心。
- 自ら考え行動する主体性: マニュアルのない状況で、自分で判断し道を切り拓く力。
これらは、空調の効いた快適な教室で身につくものでしょうか? 私はそうは思いません。
むしろ、不便で、思い通りにならないことだらけの、この「僻地」の生活でこそ育まれるものです。 吹雪で停電した夜、家族でどう暖を取るか話し合う。 雪に埋まった車を、通りかかった近所の人たちと協力して助け出す。 面倒くさいけれど、温かい人間関係の中で揉まれる。
これこそが、最強の「グローバル教育」ではないでしょうか。 中東の砂漠でサバイバルしてきた私が言うのですから、間違いありません(笑)。
英語なんて、必要性を痛感した時に本気でやれば、半年で使えるようになります。私がそうでしたから。 その時の吸収力を高めるためにも、今は焦らず、日本語という「思考のOS」を最新版にアップデートし続けることが、最も賢い戦略なのです。
まとめ:親の不安を子どもに押し付けるな
長くなりましたが、まとめます。
- 早期英語教育に焦る必要は全くない。 英語はただのツール。中身(思考力)が先。
- まずは母語(日本語)で深く考える力を育てよ。 中途半端な英語教育は「セミリンガル」のリスクがある。
- 本当のグローバル人材に必要なのは、英語力よりも「生きる力」。 それは不便な環境や自然の中でこそ育つ。
親が「将来のために」という不安から、子どもに早期英語教育を押し付けるのは、親のエゴかもしれません。 周りの雑音に惑わされず、目の前の我が子の興味や成長段階をしっかりと見てあげてください。
雪かきで疲れ果てた体に鞭打って書きましたが、少しは皆さんの肩の荷を下ろすことができたでしょうか?
さあ、午後からはイサムと一緒に、雪山に巨大なかまくらを作る予定です。 これも立派な「戦略的・非認知能力向上トレーニング」ですからね!
それでは、マアッサラーマ!(また会いましょう!)

