ゲーム機を捨てよ、海へ出よう。小5息子がハマる「本気釣り」の教育効果。

ゲーム機を捨てよ、海へ出よう。小5息子がハマる「本気釣り」の教育効果。

アッサラーム・アライクム!
北海道の西の果て、元駐在員のアブ・イサムです。

冬の厳しさが嘘のように、ここ僻地にも最高の季節がやってきました。
窓を開ければ、目に飛び込んでくるのは息をのむような「積丹ブルー」の海。心地よい潮風が、緑濃くなった山々の香りを運んできます。

さて、夏休み。都会のご家庭では、頭の痛い季節かもしれませんね。
「毎日エアコンの効いた部屋でゲームばかりしている」「YouTubeを見続けて昼夜逆転…」なんていう嘆き声をよく耳にします。

かつての我が家もそうでした。しかし、ここ僻地に移住してから、小学5年生になる息子の夏は劇的に変わりました。

彼の手からゲームのコントローラーが消え、代わりに握りしめられているのは「釣竿」です。

今回は、我が家の息子がドハマりしている、遊びの域を超えた「本気釣り」についてお話しします。
親バカを承知で言わせてもらえば、これはどんな高額なサマースクールよりも効果的な、「最高の英才教育」だと私は確信しています。

1. ゲーム機を捨てた日

移住してくる前、東京にいた頃の息子は、典型的なインドア派でした。休日は友達とオンラインゲームに熱中し、私が「公園に行こう」と誘っても、「えー、暑いし面倒くさい」と生返事。

そんな彼を連れて、この何もない(あるのは大自然だけの)村に引っ越してきた当初、彼は明らかに退屈していました。
「父ちゃん、ここWi-Fi遅いし、遊ぶとこないじゃん」

そんな彼が変わったのは、移住して最初の夏でした。
近所のおじさんが、「ボウズ(息子)に釣りを教えてやる」と、港へ連れ出してくれたのです。

私は半信半疑でした。飽きっぽい彼のことだから、すぐに「帰りたい」と言い出すだろうと。

しかし、結果は予想外でした。ビギナーズラックで、手のひらサイズのガヤ(エゾメバル)が釣れたのです。竿先に伝わるブルブルという生体反応、水面から飛び出す銀色の魚体、そして何より、自分で獲物を捕らえたという高揚感。

その日、息子の目から「退屈」の文字が消えました。
家に帰るなり、彼はゲーム機をクローゼットの奥にしまい込み、「父ちゃん、俺、明日も釣り行くわ」と宣言したのです。

2. 自然という名の「最強の教室」

それからというもの、息子の生活は一変しました。
学校から帰ると、ランドセルを放り投げ、釣竿を担いで海へダッシュ。真っ暗になるまで帰ってきません。

私が注目しているのは、彼がただ遊んでいるのではなく、「本気で思考し、行動している」という点です。この「本気釣り」を通じて、彼は都会の机の上では絶対に学べない、3つの重要な能力を身につけつつあります。

① 「仮説検証能力」(自ら考える力)

釣りは、そう簡単には釣れません。特に狙った大物を釣ろうと思えばなおさらです。
最初のうちは、釣れない現実に癇癪(かんしゃく)を起こしたり、「父ちゃん、どうしたら釣れるの?」とすぐに答えを求めてきたりしました。

私はあえて答えを教えず、「魚の気持ちになってみたら?」と突き放しました。

すると彼は、自分なりに考え始めました。
図鑑で魚の習性を調べ、「今日は潮が動いてないからダメかも」「この時間帯は、魚は岩陰に隠れてるんじゃないか」「エサが大きすぎるのかな」とブツブツ言いながら、仕掛けを変え、ポイントを変え、試行錯誤を繰り返すようになったのです。

これはビジネスの世界で言う「PDCAサイクル(計画・実行・評価・改善)」そのものです。
「なぜ釣れないのか(問題発見)」→「こうしたら釣れるかも(仮説構築)」→「やってみる(検証)」→「結果から学ぶ(修正)」。

自然は、塾のテキストのように決まった正解を教えてはくれません。自分で最適解を見つけ出すしかない。このプロセスが、彼の思考力を飛躍的に鍛えています。

② 忍耐力と集中力(非認知能力)

現代の子供たちは、すぐに結果が出るデジタルコンテンツに慣れすぎています。ボタン一つで快感が得られる世界です。

しかし、釣りは「待つ」時間が9割です。思うようにいかない時間の方が圧倒的に長い。
最初は落ち着きのなかった息子も、今ではウキの一瞬の動きを見逃すまいと、何十分も海面を凝視し続けることができるようになりました。

この「すぐに結果が出なくても、じっと耐えてチャンスを待つ力」や「一つの対象に深く没頭する集中力」は、テストの点数には表れないけれど、人生を生き抜く上で最も重要な「非認知能力」の核となる部分です。

波の音だけが響く静寂の中で、竿先だけに全神経を集中させる時間。これは最高のデジタルデトックスであり、マインドフルネスの実践でもあります。

③ 命への感謝と、揺るぎない自己肯定感

そして、最も大きな変化は「食」に対する意識です。

スーパーできれいにパック詰めされた切り身しか知らなかった彼にとって、釣り上げた魚が目の前で跳ね回り、やがて動かなくなる姿は衝撃的だったはずです。
自らの手で命を奪う感覚。そして、その命をいただくという実感。

夕食時、自分が釣った魚が食卓に並び、それを家族が「美味しい!すごいね!」と喜んで食べる。
その時の息子の誇らしげな顔といったらありません。

「俺が家族の食卓を支えているんだ」という実感は、彼の自己肯定感を強烈に高めてくれました。ゲームの中のレベルアップとは比較にならない、リアルな達成感がそこにはあります。

結論:親はただ、環境を用意すればいい

僻地に移住して気づいたのは、子供を賢く育てるために、親が必死になって何かを教え込む必要はない、ということです。

ここには、海、山、川という、無料で使い放題の「最高の教室」があります。
そして、魚、虫、植物、気まぐれな天候といった「最高の教師」たちがいます。

親の仕事は、子供をその環境の中に放り込み、安全だけ確保して、あとは余計な口出しをせずに見守ることだけ。そうすれば、子供は生まれながらに持っている好奇心の羅針盤に従って、勝手に学び、勝手に成長していきます。

都会にお住まいの方も、夏休みはぜひ、作られたレジャー施設ではなく、少し不便でも「本物の自然」の中に子供を連れ出してみてください。
もしかしたら、あなたのお子さんも、ゲーム機を投げ捨てて、目の輝きを変える瞬間が訪れるかもしれませんよ。

さあ、私もそろそろ仕事(ブログ執筆)を切り上げて、息子の「本気釣り」の弟子入りをしてこようと思います。
「父ちゃん、仕掛けが甘いよ」なんて、偉そうに指導されるのが、最近の私の密かな楽しみなのです。