都会vs僻地、コスパ最強はどっちだ?元駐在員が計算してみた。

都会vs僻地、コスパ最強はどっちだ?元駐在員が計算してみた。

アッサラーム・アライクム!
北海道の西の果て、日本海を見下ろす「僻地」で暮らす元駐在員、アブ・イサムです。

今回のテーマは、ズバリ「お金」の話です。

「都会と僻地、どちらが経済的に得なのか?」

多くの人が漠然と抱いているイメージは、「都会の方が稼げるけれど、生活費も高い」「田舎は生活費が安いけれど、収入も少ない」といったところでしょうか。だから結局、トントンなのではないか、と。

しかし、中東シリアという全く異なる経済圏で生活し、日本を客観的に見てきた私の視点から言わせてもらえば、その認識は少し甘いと言わざるをえません。

私は、ここ北海道の僻地への移住を、一種の「投資戦略」として捉えています。
感情論は抜きにして、冷静に電卓を叩いてみた結果、私が導き出した結論は一つ。

「子育て世代にとって、僻地暮らしこそが最強のコスパ戦略である」

今回は、なぜ私がそう確信するに至ったのか、家計の三大要素である「住居」「食」「教育」を中心に、そのロジックを紐解いていきたいと思います。

1. 都会の「高収入」という幻想

まず、大前提として共有しておきたいことがあります。それは、「いくら稼いだか(額面年収)」ではなく、「いくら手元に残って、何に使えたか(可処分所得と幸福度)」が重要だということです。

東京で働いていた頃の私は、確かに今より高い年収を得ていました。しかし、毎月口座から引き落とされる莫大な家賃、満員電車のストレスを相殺するための外食費や娯楽費、将来への不安からくる貯蓄や保険…。

給料日前に通帳を眺めては、「あれだけ働いたのに、これしか残らないのか」とため息をついていました。まるで、穴の空いたバケツに必死で水を注いでいるような感覚です。

都会の生活は、生きているだけで莫大な「維持費」がかかります。私はこれを「便利さ税」と呼んでいます。コンビニが近くにある、電車が数分おきに来る、何でもすぐに手に入る。その代償として、私たちは人生の時間と、稼いだお金の大部分を差し出しているのです。

シリアにいた頃、人々は決して裕福ではありませんでしたが、彼らは稼いだお金を「家族との豊かな時間」や「隣人との交流」のために使っていました。彼らの生活の質(QOL)は、年収の多寡とは比例していませんでした。

私が僻地を選んだのは、この「便利さ税」の支払いを拒否し、バケツの穴を塞ぐための戦略的撤退なのです。

2. コスパ比較①:住居費(圧倒的なROIの差)

では、具体的な比較に入りましょう。まずは最大の固定費である「住居費」です。

都会で家族3〜4人が人間らしい生活を送ろうとすれば、家賃や住宅ローンは家計を最も圧迫する要因になります。しかも、手に入るのは「通勤に便利な場所にある、狭い箱」です。子供が少し跳びはねれば下の階を気にし、駐車場代だけで地方の家賃が払えるほどの金額が出ていく。

一方、ここ僻地ではどうでしょうか。
具体的な金額は伏せますが、都会のワンルームマンション程度の家賃で、庭付きの広い一軒家が借りられます。駐車場代? もちろんタダです。

子供は家の中で走り回っても誰にも怒られません。窓を開ければ、隣のビルの壁ではなく、雄大な海や山が見えます。

投資の世界にはROI(投資収益率)という言葉がありますが、同じ住居費を払った場合に得られるリターン(住環境の質)が、都会と僻地では天と地ほどの差があります。住環境への投資として、どちらが賢い選択かは火を見るよりも明らかです。

3. コスパ比較②:食費(貨幣経済からの逸脱)

次に食費です。ここが僻地暮らしの最も面白い部分かもしれません。

都会のスーパーで売られている野菜や魚の値段には、生産コスト以外に、莫大な輸送費、仲介手数料、広告費、そしてきれいなパッケージ代が含まれています。私たちは「食料そのもの」ではなく、「流通システム」にお金を払っている側面が強いのです。

ここ北海道の漁村では、そのシステムから半分足を踏み外した生活が待っています。

まず、素材そのものが安い。直売所に行けば、朝獲れの魚介類や泥付きの野菜が、都会では考えられない値段で並んでいます。しかも、味は桁違いに良い。

さらに強力なのが「お裾分け文化」という名のバーター経済です。
「アブイサムさん、ホッケたくさん獲れたから持ってきな」「おばあちゃんの畑で野菜採りすぎたから食べて」
玄関先に、発泡スチロール一杯の魚介類や、段ボール一杯の野菜が置かれていることが日常茶飯事です。

我が家のエンゲル係数は、移住後劇的に下がりました。しかし、食卓の豊かさは劇的に向上しています。都会の高級レストランで数万円払って食べるような食材が、ここでは日常食なのです。これをコスパと言わずして何と言うでしょうか。

4. コスパ比較③:教育費(何に投資するか)

最後に、多くの子育て世代が懸念する教育費です。
「田舎は教育レベルが低いのではないか?」という不安から、都会で高い家賃を払い続け、さらに高額な塾代を負担している親御さんは多いでしょう。

確かに、ここには有名な進学塾はありません。しかし、それはデメリットでしょうか?

都会の教育費は、多くの場合「不安の解消」と「競争への参加費」に使われています。みんなが塾に行くから行く。少しでも偏差値の高い学校に入れないと将来が不安だから課金する。

私は、そのレースから降りました。
ここの村の小学校は、一クラスの人数が非常に少ない。それはつまり、公立校でありながら、先生が一人一人の生徒にきめ細かく目を配ってくれる、実質的な「プライベートスクール」状態であることを意味します。

そして、放課後や週末の過ごし方です。
都会ではお金を払ってキャンプ教室や自然体験ツアーに参加させますが、ここでは裏山や海がすべて無料の教材です。

息子は釣りを通じて、天候を読む力、道具を工夫する知恵、釣れない時の忍耐力、そして命をいただく感謝の心を学んでいます。これらは、これからのAI時代に最も必要とされる「非認知能力」そのものです。

高額な塾代を払ってペーパーテストの点数を競わせるのと、大自然の中で生きる力を育むのと、どちらが将来的にリターンの大きい教育投資でしょうか。私は後者に賭けました。

結論:賢いパパは「リソース配分」を変える

都会での生活は、いわば「高コスト・高回転」のビジネスモデルです。たくさん稼いで、たくさん経費(生活費)を払う。

対して、僻地での生活は「低コスト・高利益率」のモデルです。
浮いたお金、そして何より「通勤時間ゼロ」によって浮いた膨大な時間を、家族の体験や、将来のための蓄財、そして私のようにブログを書くといった生産活動に再投資する。

これが、元駐在員アブ・イサムが実践する「僻地戦略」の全貌です。

「僻地=不便で貧しい」という古い固定観念を捨て、電卓を叩いてみてください。
そこには、都会の喧騒の中では見えなかった、賢い生き方の選択肢が浮かび上がってくるはずです。