アッサラーム・アライクム…。
(声が小さいのは、体力の限界を迎えているからです)
北海道の西の果て、世界有数の豪雪地帯から、ブログ管理人のアブ・イサムがお送りします。
今回の記事は、タイトルにある通り【閲覧注意】です。
これまで、美しい「積丹ブルー」の海や、豊かな自然の中での子育てといった、僻地暮らしの「光」の部分をお伝えしてきましたが、今回は「闇」…いや、「真っ白な地獄」の部分にスポットライトを当てます。
そう、北国暮らしの最大の試練であり、避けては通れない宿命。
「雪かき(除雪)」のリアルな辛さについてです。
移住を夢見る皆さん、悪いことは言いません。この記事を読んで、一度冷静になってください。
キラキラした田舎暮らしのイメージの裏側には、腰痛と筋肉痛、そして終わりの見えない徒労感にまみれた、壮絶なサバイバル生活があるのです。
これは、元中東駐在員が、白い悪魔と戦い続ける、血と汗と涙(ほぼ汗と鼻水)の記録です。
1. 絶望の朝は突然に
それは、ある冬の日の朝のことでした。
目覚まし時計の音で目を覚まし、いつものようにカーテンを開けた瞬間、私は言葉を失いました。
「……ない」
窓の外にあるはずの景色が、ないのです。
昨日までそこにあったはずの車も、物置も、庭の木々も、すべてが圧倒的な白い質量によって埋め尽くされ、この世から消滅していました。
家の1階部分は完全に雪に埋没。玄関のドアは、外からの雪の圧力でビクともしません。
私たちは、雪という名の白い監獄に閉じ込められたのです。
中東にいた頃、巨大な砂嵐(ハブーブ)に遭遇したことがあります。視界がすべてオレンジ色に染まり、砂が目や耳に入り込む、あれも地獄でした。
しかし、この北国の「白い暴力」は、それとは質の違う絶望感を伴います。
「ああ、今日もまた、戦いが始まるのか…」
私は深くため息をつき、戦闘服(スキーウェア)に着替え、武器(スコップ)を手に取りました。
まずは、家から脱出するための「穴」を掘らなければなりません。
2. 雪かきという名の「賽の河原」
都会の皆さんは、「雪かき」と聞いてどんなイメージを持つでしょうか?
玄関先を竹箒でサッサと掃いたり、軽いプラスチックのスコップで雪だるまを作ったり…。
そんな牧歌的なイメージは、今すぐ捨ててください。
ここ豪雪地帯での雪かきは、明確な「重労働」であり、「土木工事」です。
① 終わらないエンドレスゲーム
一晩で積雪が50センチ、ひどい時には1メートルを超えることもザラにあります。
家の前の駐車場、玄関までのアプローチ、屋根からの落雪注意ゾーン。これら全てを除雪しなければ、まともな生活は送れません。
朝の5時から作業を開始し、汗だくになって2時間。ようやく車が出せるようになった頃、空を見上げると、再び雪が降り始めています。
「嘘だろ…?」
会社(私の場合は自宅での仕事)から帰宅する夕方には、朝の苦労が嘘のように、再び元の状態に戻っています。
まさに「賽(さい)の河原」。積んでは崩され、積んでは崩される。自然は私たちの努力をあざ笑うかのように、無慈悲に雪を降らせ続けます。
「もう嫌だ! シリアに帰りたい!」
何度、スコップを雪山に投げつけて叫んだことか。
② 襲いかかる物理的苦痛(腰痛地獄)
そして、肉体的なダメージです。
北海道の雪はパウダースノーで軽い、なんて言われますが、それは気温が低い時の話。少し気温が上がって湿気を含んだ雪は、鉛のように重くなります。
「ママさんダンプ」と呼ばれる大型の除雪道具に、山盛りの雪を載せて運ぶ。その重さは数十キロにもなります。それを腰の回転を使って、雪捨て場に投げ飛ばす。
この動作を、何百回、何千回と繰り返すのです。
移住して最初の冬、私は見事に腰をやられました。
朝起き上がることができず、トイレに行くのも這っていく状態。それでも雪は容赦なく降り積もります。
湿布薬とコルセットが手放せない生活。移住者の誰もが通る洗礼です。
「賢いパパは僻地に住む」なんてブログを書いていますが、雪かきの最中の私は、腰をさすりながら般若のような形相をしており、全く賢そうではありません。
3. アブ・イサム流サバイバル術と、小さなご褒美
そんな絶望的な雪との戦いですが、人間とはたくましいもので、数年も住めばそれなりに知恵もついてきます。
ここで、私が編み出した(というより、地元の達人たちから学んだ)サバイバル術を少しだけ紹介します。
① 道具には金をかけろ(除雪機は神)
移住初期の私は、「人力で十分だろう」と高をくくっていました。それが大きな間違いでした。
豪雪地帯において、家庭用除雪機は贅沢品ではありません。必需品、いや「神」です。
あの忌々しい雪の塊を、轟音とともに彼方へ吹き飛ばしてくれる除雪機の姿は、どんなスーパーヒーローよりも頼もしく見えます。
初期投資はかかりますが、腰と時間を守るための「必要経費」だと割り切りましょう。
② 完璧を目指さない(諦めの境地)
最初の頃は、「アスファルトが見えるまで完璧にきれいにしなきゃ」と躍起になっていました。
しかし、相手は大自然です。勝てるわけがありません。
「車が通れればOK」「人が歩ければOK」と、合格ラインを大幅に下げること。これが精神崩壊を防ぐコツです。
良い意味での「諦め」が、北国で生き抜くための重要なマインドセットなのです。
③ 労働の後の「極上のご褒美」
そして、最も大切なのがアフターケアです。
氷点下の屋外で数時間作業をした後の体は、冷え切ってガチガチになっています。
そんな時、熱いシャワーを浴びて、ストーブの前で飲むビールの旨さと言ったら!
これはもう、言葉では表現できません。体中の細胞が「生きててよかった!」と歓喜の声を上げます。
近所には素晴らしい源泉掛け流しの温泉もあります。
雪を見ながら露天風呂に浸かり、疲労困憊した体を癒す。この瞬間のために、あの地獄のような雪かきに耐えていると言っても過言ではありません。
まとめ:それでも、ここが好きだ
ここまで、雪かきの辛さを散々書き連ねてきました。
「こんなに大変なら、移住なんてやめようかな…」と思った方もいるかもしれません。
はい、安易な気持ちならやめた方がいいです。冬の北海道は、生半可な覚悟では暮らせません。
しかし、不思議なことに、これだけ文句を言いながらも、私はこの土地を離れようとは思いません。
雪かきをしていると、無心になれます。
人間なんて、大自然の前ではいかにちっぽけで無力な存在かということを、骨の髄まで思い知らされます。
その圧倒的な力の前にひれ伏す経験は、都会の生活で肥大化してしまった私たちの傲慢さを、優しく(時に暴力的に)削ぎ落としてくれるような気がするのです。
そして、苦労を共にする家族や、近隣住民との連帯感。
「今朝はひどかったねえ!」「お疲れ様、これ温かいから飲みな」
雪かきの手を止めて交わす挨拶には、戦友のような温かい絆が宿っています。
もしあなたが、この「白い悪魔」との戦いを覚悟の上で、それでもなお僻地暮らしに魅力を感じるのなら。
あなたは本物の「同志」です。いつでも歓迎しますよ。
さあ、外から除雪車の音が聞こえてきました。どうやら、今日の戦いの第二ラウンドが始まるようです。
それでは皆さん、また次の記事で(生きていれば)お会いしましょう!
インシャアッラー(神の思し召しがあれば)。
